「脱亜超欧」へ向けて―日本は欧米・アジアの限界をどう超えるか |呉 善花
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「脱亜超欧」へ向けて―日本は欧米・アジアの限界をどう超えるか
呉 善花
三交社 刊
発売日 2001-11
価格:¥1,575(税込)
農耕文化以前の自然意識 2002-03-09
◆お・そんふぁ氏は、韓国斉州島出身の女性だ。私はこの人の本は好きで10冊ほど読んでいる。とくに『スカートの風』は、日本との出会いの中でとまどいながらも精神的に成長していく様が、印象に残った。
他のアジア人と違う日本人や日本文化を理論化する試み。
◆彼女は、日本人や日本文化が、韓国や中国など他のアジアとも違う非常に独自なものをもっていることを肌身で感じ、それを何とか理論化しようとした。彼女の結論は、日本人がアジア的農耕社会が生まれる以前に由来する自然意識をいまなお抱えもっているということである。
農耕文化はすでに自然への主体的な働きかけの要素をもつが、日本文化はそれ以前の豊かな縄文文化の歴史が長いゆえ、自然と自己とが融合するトータルな世界の調和という強い感覚を残しているという。
◆農耕文化以前の豊かで高度な縄文文化の記憶が日本文化の基底をなしているという指摘は、呉善花だけのものではなく、梅原猛などがつとに展開していた説だ。呉善花の面白さは、同じアジアの隣国におい育った彼女が、日本で長く生活し身をもって実感した違いを基礎にして考察しているところだ。
日本人は、そこにどっぷり浸かって生きているからほとんど自覚化できない。ほとんど自覚化できないままに、縄文時代の記憶を忘れ去っていくのか。消え去る前に自覚化して、生かしていけるのか。
◆本のタイトルからも分かるように著者は、アジア的な農耕文明や西洋的近代文明よりも古層の時代の記憶を無自覚的に色濃く保持する日本文化に、次の時代を開く可能性をみている。わたしは、この点にはかなり懐疑的だ。
関心があるのは、自らの中に縄文的な自然観や感じ方が、充分に自覚化し切れぬまま、現に息づいていると言う事実だ。西洋文明とも中国文明とも違う感じ方の部分をどれだけ意識化し、自分の大切な一部としてどれだけ自覚的に生きることができるかどうか。そこにもっぱら関心がある。
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この記事は2006/7/29に作成しました。
